その89/六区ブロードウェイあたり、『水口』の「いり豚」

今年の初め、松の内が過ぎる正月の終り、
九州の母が軽自動車に跳ねられて死んだ。
遠距離喪主が飛行機でバタバタする中、
49日を待たずに今度は日本中のすべてが、
深い悲しみに包まれる大震災が起きた。
数えきれない崇高な死を目の当たりにし、
個人の感傷に浸っている暇なんてなかった。
飲んでも、飲んでも、酔えなかった。
今日のアテを探し求める小さな旅も、
いつのまにか少しずつ足が重くなった。
百均のタッパに分骨した白い欠片の前、
「天羽の梅」で夕陽の色に味付けした
下町流儀の焼酎ハイボールの杯を重ねる。
いつも凛と背筋を伸ばしていた母の姿、
旅で出会った福島の優しい笑顔たちが、
いくつもいくつも繋がって揺れていた。
海に行かなかった夏が終わっても、
僕はいつまでもビーサンと短パンで、
三宿と下北沢辺りをぐるぐる歩いた。
「そうだ、また浅草に行こう!」
場外馬券場前の「正ちゃん」に座り、
煮込みとホッピーを引っかけたら、
そのまんまロックの方まで出て
久々に『水口』の「いり豚」を食べよう!
9月、ようやく引っ越した先の街は、
中延で都営浅草線に交差している。
近くには庶民の桃源郷ムサコもある。
しばらく遠のいていた下町通いは、
いり豚の懐かしい味わいから始まった。
どこにもない、オリジナルの秘伝の味。
絶対に教えられない隠し味の正体は、
カレー粉とケチャップだな、きっと。
でも、再現すると、どこかが違う。

朝10時の開店と同時にビールを注文、
いり豚で女将と話し込む常連客たち。
近くの公会堂や寄席、ロック座から、
上演の合間にやってくる芸人や踊り子。
元気なお年寄り、赤鉛筆片手のおっさん、
子ども連れで「いり豚定食」と酎ハイ、
ついでに肉豆腐で盛り上がっている親子。
浅草はいつだって、がやがやと忙しく、
生きる人間たちの熱でムンムンしている。
よっしゃ、そろそろ、僕も「もう一杯!」

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。