その51/目黒東山あたり、『ル・ミディ』の「牡蠣のベニエ」
どんなに時が移っても、
決して変わらぬアテがある……。
今日は、都会のオアシスみたいなレストランから。
もう一度だけ、忘れられない夕食に出会えるとしたら、
23年前の西郷山公園にあったトラック・レストランで、
スペイン風オムレツとムサカとクスクスが食べたい。
そこには、ちゃんと『ル・ミディ』という名前があったが、
常連たちはみんな、トラック・レストランと呼んでいた。
ミディは「中」、シェフの中川くんの1文字だった。
元々シャーベットを売り歩くために改造されたトラックは、
ちょっとした厨房も付いていて簡単な料理もできた。
手間がかかる料理は家で仕込んで密閉ビンに入れ出発、
サラダや焼き物、すべての二次加工はトラックの上、
幸運なカウンターの二組の他はトラックから垂らした
透明なビニールシートの下のテーブルでワインを飲む。
でも、いちばんのお楽しみはワイングラスとバケット、
そして、料理の皿を持って公園の芝生の上でディナー。
代官山はまだ静かで、公園からの景色も、月明かりも、
街と自然のすべては僕らの味方で、夜はいつも優しかった。
プロダクションをクビになったコピーライター、
大阪の芸大を出て、集団で東京に来たカメラマンの卵たち、
一日中重いバッグを両肩にかけて歩いていたスタイリスト。
そして、やっと就職はしてみたものの場に馴染めない営業。
男手ひとつで息子たちを育てている初老の歯科技工士さん。
年齢も、職業も、環境も、何もかもが違っていたけど、
一台のちっぽけなトラックがみんなに共通語をくれた。
ワインを片手に僕らは、フランスを、スペインを、
モロッコを、ギリシャを旅し、翌朝また日常へ帰った。
やがて、西郷山の楽園はマスコミに取り上げられた。
そして、営利だけが目的の便乗組が聖地に乗り入れた。
膨れ上がった客の嬌声は住宅地の問題へ発展してしまう。
目黒区は車輛が入れないようにコンクリートの杭を打ち、
代官山の夜と手を繋いだ僕らの幸福な季節は終わった。
その後、常連客の一人が中川くんを迎えて店を開いたが、
実は、自分の息子を主役にしたまるで違う空間だった。
まず客たちが去り、すぐに中川くん本人も店を去る。
それから退屈な数年間が流れ、僕らは東山に集まった。
サーフボードをラブラドール・リトリーバーに代えた、
あの時のままの中川くんが、バンダナを巻いてそこにいた。
海から山へ、新しいフィールドを手に入れた『ル・ミディ』は、
ジビエや各種のキノコ類など、新しい魅力さえ加わっていた。
焼き鳥屋さんの居抜きをコツコツと自力で改装した店内、
狩猟に同行した大きな黒い犬がゆっくりと眠る暖かい場所。
師匠シェ・ジャニー譲りの無国籍で独創的な料理が並ぶ。
季節の「牡蠣のベニエ」には、自家製のパンチェッタと、
ウラベニホテイシメジがバルサミコの風味で加わる。
鴨のコンフィは、アカモミタケと花豆が合わせられ、
鴨の首をそのまんま利用したソーセージが付いている。
ニュージーランド産のワイン、レッドロックが進む。
あの頃、下戸だった中川くんとワインを重ねれば、
ほろ酔いの夢は夜の西郷山公園を駆け巡り始める。
お金持ちになったとたん、来なくなった常連たち、
財布の中が一杯になる頃、夢は風化してしまうのだろうか。
忘れられない夕食、というフレーズがすでに切ないですわ。
(T.T.)

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。