その71/筑肥線唐津駅あたり、『とうげん』の「しめさば」

どうしても、東京に出て行きたかった。
地元で浪人なんかしたら、国立を狙わされて、
九州大学? おっと! 自宅から通えてしまう……。
進路相談室に飛び込んで、見知らぬ名前の、
二次募集がある大学に、とっとと入学した。
あれから、もう四半世紀が過ぎようとしている。
だから、本当は田舎より東京にいる時間が長い。
だから、夜更けの唐津駅に降りたっても、
もう、迎えにくる友も、ましてや女などいない。
でも、いちばんに飛び込んでしまう場所がある。
さっき通り過ぎたばかりの筑肥線のガード下だ。
唐津の風物詩、曳山にちなんだ14の店が並ぶ。
ここは、言わば渋谷の「のんべい横丁」。
きちんと厨房施設がある、元屋台の集合体だ。
「あらぁ、イッキちゃん、おかえんなさい!」
ママとマコちゃんの声が聞きたくて扉を開ける。
そして、九州に帰ったことを実感したくて、
ここの名物、ほぼ刺身状態の「しめさば」を頼む。
博多から唐津、玄界灘沿いの男たちは鯖好きだ。
しめさば、ごまさば、お茶漬けだって、
九州男児なら、鯛茶より、断然、鯖茶だ。
爽やかなお茶に浮かぶ青魚の脂のテカリ、
思わず武田鉄矢先輩の口調が浮かびそうな、
こってりとした茶漬けこそが、九州もんだ。
東京では考えられない話かもしれないが、
ここいらでは、鯖の刺し身も珍しくない。
もちろん、その場合は五島列島沖とか、
壱岐対馬とか、九州でもレアな地域のもの。
そんな暗黙の了解があって、少々お高くなる。
『とうげん』のしめさばも、対馬の鯖を使用。
しめさばとは言うものの、ほとんどレア状態。
さっと、塩でなく砂糖で〆た後に、
ささっと酢で洗う感じで、一丁上がりぃ!
このしめさばに惚れて、通い詰める客も多い。
口に入れると蕩ける感触、おおっ九州の鯖だ。

「いい烏賊があるとよ、揚げちゃろか!」
青魚と並んで、玄界灘の名物である烏賊。
もちろん刺し身で行ける烏賊をつぶして、
カレー味のいかリング! なんて、贅沢な!
この後、外パリパリ、中トロトロのあいつ。
「トンスペ」こと豚足スペシャルも欲しい。
少しずつ、日頃忘れかけていた九州弁が、
芋焼酎の力を借りて、スラスラと蘇る。
最終の筑肥線が頭の上を通り過ぎて行く…。

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。