Free Paper はどこまでFreeになれるのか

渋谷と青山の間にある『Only Free Paper 』というFree Paperだけを集めているショップに寄ってきました。いろいろな場所で取り上げられてもいるので、ご存知の方も多いかも知れませんね。
「Free Paper のショップ=お店」と言ってはみたものの、Free Paperはご存知の通り基本無料ですから、それを売るのは矛盾するわけで、どうやってこの「ショップ」の利益構造を作っていくのかが今後の課題です、と運営者の方がある雑誌で語っていたのがなんとも「うんうん」と言う感じで、僭越ですがとても好ましく、近くに行った際に寄ってみたわけです。
まあ、ビジネス構造については、ひとまずおいておいて。
たーくさんありました、Free Papers。日本全国から。そこには作り手さん達の“想い”がびゅんびゅんと飛び交っていて、とても元気になれる場所です。一方で、Free Papers、彼らの多くの飛行距離はやはりあまり長くはなく、どこまで遠くの人まで届くのか、という観点で見るのはちょっと違うんだろうな、なんてことも思いました。
自分の声、想いを遠くまで飛ばすこともFreeであるならば、発行した後のことよりも、まずは想いをカタチにすることに軸足を置く、そのスタイルもFreeと言えるわけです。もちろん、後者に属する人たちも、より多くの人に読んでもらいたい、という気持ちはネーチャーとしてあるのではないかと思うのですが。どうなんでしょうね?
ボクは、前々回にもお伝えした通り雑誌がとても好きです。かつて『03』という雑誌があって、カッコよかったなあ。『Esquire』、もういちど70年代の本家スタイルでやってくれないかなあ、なんてつらつらと思っています。
カッコいい写真と、ちょっとばかりとりすました文章と、音楽の話がある。わっはっは。まあ、単純ですが、そんな単純な「ペーパー」があるといいなあ、Tokyoにも。

