エアギター ~エピソード ゼロ~ (0034本目)

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目に見えないものの存在意義


さて質問です。
手元にホウキが1本あります。あなたならそのホウキを持って何をしますか?

①:掃除する。
②:またがって魔女になる。
③:両手に抱えてギタリストになる。

ホウキのそもそものレゾン・デトール(=存在意義)に従えば当然①が妥当っぽいけど、知り合いの女の子に聞いてみると「魔女」だそう。そして「黒猫を探す」とか。ふむ、宮崎駿の見過ぎでは、と思わなくもないけれど女の子とはそういうものなのか。しかし男なら答えは③に違いない。両手に抱えて気分はロックスター! これ以外に何があろう。

中学校の掃除の時間、誰彼かまわずみんながホウキをギター代わりに抱えてはロックスター気取りだった。僕の時代はヘビメタ全盛期。たとえ実際にギターを弾く才能がなくても、いや、その才能がないからこそ、掃除の時間に各々がホウキをギターの代用にしていた。ある者は世界一の早弾きと畏れられたイングベイ・マルムスティーン(あまりにも早弾き過ぎてギターのパートを口ずさむのにも難儀したけど……)、またある者は夭折の天才ランディー・ローズになろうと必死だった。掃除の時間だけだけど。

そんな熱い(いや暑苦しい!?)思いが走馬灯のように甦ったのが、今回の『エアギター~エピソード ゼロ~』。こちらはホウキではなく、エアというだけあって何の助けにも頼らない、空気の(つまり実体のない)ギターを手にその“パフォーマンス”を競う人々のドキュメンタリー映画だ。
ギターを持たず、しかしギターをプレイする。現実のギタリストと変わらぬ情熱とパワーで。しかもこの作品はそのエアギタリストたちの世界一決定戦の記録映画として成立している。そう、いわばエアギタリストたちのワールドカップなのだ。

「それって何か意味あんの?」

と、別の友人が聞いた。その疑問は気持ちいいくらい単刀直入で、しかも正しい。この映画を絶賛した僕も答えに詰まってしまった。果たして何らかの意味があるのだろうか? いやぁ、意味ないだろうな、いわゆる実生活のレベルでは。なぜならそれはもっと形而上学的なものなのだ。

などと、うそぶいてもしょうがないのだが、なにはともあれ、他人からどんなそしりを受けようとも前進するエアギタリストたちの入れ込み様はタダ事ではない。たった60秒間のパフォーマンスに全身全霊を尽くす。選曲だってホンモノ志向だ。ジューダス・プリーストの“You’ve Got Another Thing Coming”、モーターヘッドの“Ace of Spades”、ザ・フーの “Won’t Get Fooled Again”などなど。

「意味あんの?」「つまるところギター弾けないだけじゃん」、そんな白い目をもろともせずエアギタリストとしての完成型を志す。そこには間違いなく掃除の時間に相通ずるものがあった。あの頃もホウキ片手にホンモノを求めていた。妥協やナンパは許されなかった。ポップへの迎合もダメだ。

「俺、リッチー・サンボラ」

ホウキ片手にそんなことを胸張って言うヤツは即刻村八分だった。誰がボン・ジョヴィのメンバーになりたいヤツを仲間にするもんかっ! ホンモノってのはそんなもんじゃないんだよっ! みんなそれくらい血の気が多く、理想(?)に満ちていた。

「いやぁ、若かったなぁー、あの頃は」

図らずもそんな郷愁を誘う映画だった。

10月6日(土)より、新宿テアトルタイムズスクエアにてロードショー!
公式ホームページ:http://www.miraclevoice.co.jp/airguitar/


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