ヒグラシ

抜け殻を探していたんです。
これだけセミが鳴いているなら、その数と同じだけの抜け殻が
公園の木に残っているはずだと。
そんなものを探すことに、それ以上の理由はありません。
ただなんとなく、でも確かめたかった。

普段より遅い午後5時過ぎにランニングをはじめようとした僕は、
スタート地点のいつもの公園で、そうして桜の木を見上げていました。
すると、ふいに背後で呼び止められました。

「何を見てらっしゃるの?」
とても上品な、たとえるならヒグラシのような声のご婦人でした。
ふわっとした白いノースリーブの上着を着て、
いま思えば何の気配も予感もなく、すうっと僕の後ろに立っていました。

「ああ、そうね。これだけセミがいるなら確かにそうだわね」
僕の話に何度もうなずきながら、ご婦人もまた木を見上げました。

「あら本当。みんなぱっくり背中が割れてるのね」
そのとき僕は、その木にいくつか発見した抜け殻をながめながら、
どれも背中が地面のほうを向いているんだなと思いました。

「わたしはね、そこの池の縁でこんなものを見つけたの」
そう言ってご婦人は、白い筋が何本も走る蒼色の平たい石を見せました。

「植木のそばに置くといいと思ったのよ。
捨ててあったから、もらってもいいわよね」
名前が書いてないなら、たぶんいいんじゃないですか?

「ああ、そうね。確かにそうだわね」
たいして気の利いていない僕の返答にからからと笑って、
そしてご婦人は坂を上り、僕は走り出しました。

1時間後にもどってきた公園は、ほとんど日が落ち、
アブラゼミも鳴くのをやめ、
涼しくなった林のおくのほうからヒグラシの声が聞こえていました。

ある夕方の、ほぼ本当にあったささいなお話。


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