勝負の限界
昨日の甲子園を観て、勝負の限界ってヤツを感じました。
ゲームの風向きが残酷なまでに変わるまで、
結果的に敗戦投手となった彼は1安打無失点で来たわけです。
なのに、劇的な満塁ホームランを打たれる。
となると、そこまで積み重ねてきた100球以上のナイスピッチングは、
負けるために投じてきたものだったんだろうか?
それは違うと思うんです。あの試合が成立するためには、
ホームラン以前の投球もそれ以後も、そしてホームランになった球も、
すべて必要不可欠だった。
でも現実として勝負を決めなくちゃいけないんだから、
試合内容の良し悪しなんて意味を持たないのかもしれない。
でね、そこが勝負という事実の限界だと思ったんです。
あの決勝戦、最高に素晴らしかったのは、最後まで誰も
集中力を切らさなかったこと。
それは、スコアブックにも報道にも記せない、
僕らの記憶のなかにだけ残る真実なんです。
その真実のインパクトの前では結果なんて瑣末なものになり、
であれば勝負が決することにはおのずと限界があるんだろう、と。
けれど、そういうものが見えてくるのは本気で勝負したから、ですよね。
勝ちの意味も、負けの意義も、
勝負しない者には永遠に手にできないんだ。
甘い感傷であっても、
昨日の彼らには「誰も負けなかったぞ」と言いたんですよね。
去年と同じ、9回最後の対決が背番号1同士ってのもぞくっとして、
人生勉強させてもらってる感じですね、
倅みたいな年令の野球小僧たちに。
ああ、ついに甲子園も終わっちゃったんだなあ。
