い抜き

今日も言葉方面の話です。
広辞苑の改訂で取り沙汰されたのは、
要は日本語の乱れに関することなわけです。
その乱れで一時期注目されたのが、“ら抜き”言葉。
Ex:見られる・見れる/食べられる・食べれるetc…

この“ら抜き”。真剣に語ろうとすると日本語の根幹に触れそうで、
しかも東京では大正時代からその傾向があり、
さらには一部の地方の方言だったりもするらしく、
だから一概に乱れなどとは言えないみたいですね。

僕は、原稿を書くにあたり、基本的に“ら抜き”はしません。
それは、乱れの否定ではなく、流れを生めない感じがするから。
文章ってのはおよそ訓読になるけど、
気軽に読み進められる文字の連続にはリズムが欠かせません。
淡々とビートを刻んだり、長調と短調が入り組んだり、時に転調したり。

それからここで書く文章では、手紙のような文体を意識しています。
その手法のひとつとして頻繁に用いているのが、“い抜き”。
Ex:しています・してます/見ています。見てますerc…

これもまた文章中のリズムで使い分けるんですけど、
“い”を抜くと優しくくだけるでしょ。
そこに親しみが生まれたらいいなあと思ってるんです。
あ、これも“い抜き”だね。

昨日、言葉は生き物だ、と言いました。
今日は、文章はリズムだ、と言います。
ま、僕が叫んだところで日本の文章界には
そよ風すら吹かないんだけどね。


T・T ディレクトリー   リンクフリー   プライバシーポリシー      運営会社