瞬間
最近のニュース報道を見てると、
リアルな現場の写真や映像が流れるでしょ。
あれってやっぱりその瞬間のそばにいた人が撮ってるんでしょ?
ケータイやデジカメで?
それをメディアが譲り受けてるんでしょ、たぶん。
そういう場面に向けてカメラを向けられる精神構造ってどういうこと?
とか言いつつ、その写真や映像を見ている自分がいる。
僕がここで写真を紹介していることを知っている人は、
「この瞬間は撮ったほうがいい」と言ってくれる場合があります。
たぶん彼らは、道徳的見地に立ってある種の啓蒙活動を
僕に期待しているのかもしれない。
でもね、それは僕の役目じゃないなあと思っています。
不幸から目を背けるんじゃなく、
ここではあえて不幸に目を向けなくてもいいかなあと。
写真って、エッジが鋭い時間の断片なんですよね。
しかも撮り手の自由裁量でいかようにも切れる。
そこにキャプションをつけたら、さらに意味づけが強化できたりする。
それはかなり暴力的な行為です。
ひとまずメディア側にいる僕はそう思う。
どうでもいいような瞬間にも、どうでもよくないものが詰まっている。
毎日カメラを持つようになって僕が知り得たのは、そういう事実でした。
そのどうでもいい瞬間をどうでもよくないと感じられた瞬間に、
米粒くらいだけど幸福が実る気がしています。
