時間軸上のこだわり

眠いときには寝るしかない。
これは、僕のなかで最高の説得力と実用性に満ちた人生訓です。
または、代用品はあくまでその場しのぎでしかない
という経験則でもあります。
だからやっぱり、いくらオハギが食べたいからと言って、
他のアンコ物を口にしてもオハギを食べたことにはならないし、
むしろよりオハギが恋しくなる。

いやね、昨日、取材の帰り道に寄った中央高速の
談合坂サービスエリアで信玄おやきが目にとまったとき、
つい小豆入りを買っちゃったんです。
「きっと後悔するから野菜方面の具にしとけよ」という声が
耳たぶのあたりから聞こえたにもかかわらず……。
で、案の定、いまもまだオハギが食べたい。

そうした一種のしつこさって、こだわりと表していいのかもしれない。
こだわりって、現在一般にはいいものとされてるでしょ。
「仕事にはこだわりを持て」、みたいな感じで、
誇りや意地に置き換えることもできる。

ただ、時間軸で考えてみると、停止でもあるわけです。
譲れないまま固定している感覚だからね。
それがその人の基準を構成するものであれば、
人生の道標として簡単に向きを変えられないというのも理解できる。

けれど、文字通りこだわりすぎるとどこにも行けなくなるのかもね。
だから、こだわらずに漂流する部分と、
母港と呼ぶべきこだわる部分のバランスが巧みだといいんでしょう。
でないと、アンコそのものの味を見誤る。
オハギでなきゃ、とか言い張ってるとね。

などと、どうでもいいことを考えあぐねるのって、
決まって床で寝ちゃった朝です。体、痛いのよねぇ。


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