全体の定量

世の中には、割合というのがあるでしょ。
その単位をパーセントで示す、それ。打率、視聴率、支持率…。
割合計算の元になっているのは、全体が100、ですよね。
その100に対してどれだけの割合を占めることができるかで、
要するに結果なり成績なり、あるいは人の価値が判断される。

人の価値、なんて神様でもない限り決められるものではないけど、
およそ仕事などでは誰もが共有できるひとつの定量として
重宝されるわけですよね、率って。

だけど、じゃ割合ってのは100に達したら完璧かというと、
どうやらそうでもなく、分母のジャンルで妥当な数字があります。
打率なら3割台で良しとされる。
視聴率は、30パーセントならほめられるのかな?
支持率の場合は20パーセントを切ったら内閣解散が叫ばれる?

そうして数字という具体的な定量が明らかになると、
人はそわそわします。
でもね、自分に甘いと言われても僕は、僕の支持率が仮に
8パーセントだったとして、100人中8人も支持してくれるんだと、
そういう感覚になっちゃうんですよ。
その8人の支持者にに対して何ができるかを、まずは考えたい。

やっぱり甘い考えなのかな。
ただ、割合の元になる100という枠は絶対的な定量じゃない、
誰かが決めた全体がいつでも正解ではないはずだろう、と……。

尊敬に値する人たちが引退したり、あるいはこの世を去る
ニュースを耳にするたび、その人たちの素晴らしさって
パーセントなんかじゃ表せないよなと、そんなふうに思うのですね。


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